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2007年2月28日 (水)

時効成立?

これも、大学生の時にやったアルバイトのお話。思い返せば20数年昔・・・誰かの人生を狂わしてしまったかもしれない、ある出来事。もう時効かと、ここに懺悔いたします。^^;

昭和60年代の年の瀬。某大手デパート(ここが潰れるとは!)の地下の食品売り場で、お歳暮商品販売の短期アルバイトをやっておりました。時節柄、すごいお客さんで、売り場からレジにいたるまで、連日ごったがえしておりました。私の仕事は、お客さんから注文をうけたまわり、専用の注文書に商品番号を書き込んで、送り先などの記載漏れがないか確認し、レジ担当に代金と共に渡す・・・そんな感じでした。

話が横道にそれますが、お中元やお歳暮の商品には、定価の記載はないですよね。だから他の人から何かもらったときに、これっていくらぐらいするんだろ~?お返しはどの程度の物にしたらいいのかな?・・・結局、デパートに行って同じ商品を探す。そんな経験はありませんか?実はちゃんと定価は表示されているんです。外箱に記載されている商品コード、ABC-D5000Eとか書いてありますが、数字の部分が定価です。これだと5000円ってことですね。これは、お客さんから3000円のと4000円の、2つくださいとか言われた時に、すぐに対応できるように、書かれているみたいです。

話を戻しましょう。お歳暮商戦まっただ中ですから、当然「お歳暮」と書かれた、のし紙を添えるわけで、レジ横の机の上に山積みされており、商品・伝票・のし紙をセットにして発送担当者に渡すわけです。発送担当者は、伝票に書かれたお名前をのし紙に筆書きして、包装し発送用のカーゴの中に。むちゃくちゃ忙しい時は、「書いといて」と言われて、私が筆書きしたこともありました・・・へたくそでごめんなさい 

そんななか、ある中年のご夫婦のお客様がいらっしゃいました。雰囲気は、どこかの会社の社長さんかなと思わせる、恰幅のよい温和なお客さまでした。ただ、注文が普通のお客様と若干違っておりました。毎日同じ作業の繰り返しのなかに、イレギュラーな要素が飛び込んできたとき、そういった時こそ、細心の注意を払って対処すべし・・・というのは今思うことで、そのときは、大したことではないのに、微妙にパニクッていたのでしょう。

そこで私の引き起こした些細な失敗が、他人の人生を大きく左右してしまったかもしれない・・・恐ろしい事件の幕開けです   つづきはまた明日 !(^^)!

2007年2月27日 (火)

バブルの恩恵?

世にいう超高景気、バブル経済絶頂期に私は大学生でしたので、政治とか経済とかには、あまり関心がなく、時給500円以上の短期の稼ぎ口を探し回っておりました。なぜに短期かというと、いろいろと思いついたことはすぐに始めたいタイプなので、一定の時間を長期的に拘束されると、不都合が多かったためです。

今にして思えば、これがバブルだったのか・・・と思われる、おいしかったバイトをご紹介!

某国営放送のアルバイト。まあ、私は生まれてこのかた、日本国籍でありますし、外国に長期滞在したこともありませんが、某国がどこであるかは明確にはできません。またまた不祥事発覚か!とニュースになっても困りますしね ^^;

ここの仕事の内容は、公開放送とかイベントのあるときにのみ、事前に登録してあるスタッフに仕事依頼の電話が入るシステムで、日数も4~5日という不定期なものでした。召集時間は、朝の9時。しかし、実際仕事が始まるのは、10時とか場合によってはお昼からなんてこともありました。もちろん待機時間も時給は支払われます。しかも、実際仕事に入っても、どう考えても5人いれば済む仕事に、10人以上のスタッフがいます。仕事の内容は、設営時には大道具さんのお手伝いを、放送中はカメラさんの補助や、ADさんの補助、あまった人は観客席で見物・・・お金くれます !(^^)!

人事の担当の人と仲良くなったころに、なんか無駄してませんか?僕らはうれしいからいいんですけど・・・と尋ねたことがありました。返ってきた答えは、連絡しても当日来ない人とかいるので、多めに集める、当日のドタキャンとかもあるので、早めに集めて人数が十分確保できているかを確認する・・・というものでした。そのときはなんとなく納得したのですが、今のご時世では考えられない事ですね。

あと、某レンタカー屋さんのバイトもおいしかったです。時間は9時~20時の間で応相談だったのですが、私はフルタイムでよく入ってました。11時間労働?と思われるかもしれませんが、11時~16時の間は、お昼寝タイムと呼ばれていて、何しててもいいからねと言われてました。社員の人もよくお昼寝してました。実際ほとんどすることが無いんです。車を借りに来る人は、朝一番に来るし、返すのは夕方です。日中はまずお客さん来ません。もちろん、お昼寝タイム中も時給は計算されています。果報は寝て待て・・・まさにそのまんまってな感じでした (*^^)v

どうやって、ありあまってる会社のお金を使うかに頭を悩ませていた時代・・・そんな時代に戻りたいものです 

2007年2月26日 (月)

罠はそこにある(2)

土曜日の分からの続きとなります。前回の話もご参照ください。

学校での授業の風景を思い出していただきたいのですが、大学のようにひたすら教授がしゃべりたおして終わる授業というのは、各自がその後独学で内容を理解することを前提に行われているわけで、小・中学校の授業とは、形態が異なります。基礎的な学力の向上を目指す場合は、生徒自身が内容を理解し、使いこなせるようになっているかを確認する必要があります。平たく言うと、10分説明したら、30分は練習問題をさせる・・・特に理数系の科目はこの方法が一般的です。私も、家庭教師先でこの方法をとっておりました。

例の灰皿を発見したとき、子供の反応も気になったので、さりげなく、ごく普通にききました

「これは?なんでここにあるの?」 

すると、

「先生タバコ吸うでしょう、お母さんが置いてった。」 と、自然な答えでした。

夏場だったこともあり、私の服装はカッターシャツにネクタイという軽装で、しかも胸ポケットにはタバコが押し込んでありました。それが見えていたのを子供がお母さんに言ったのか、なんともうれしい配慮でした。今思えば、教師が生徒の前で喫煙するなど御法度ですが、私が小学生の頃は、教室でふつうに先生はタバコを吸っていました。中学の時も、職員室は煙で霞んでおりました。それにお母さんが・・・という言葉に安心しきって、子供が練習問題を解いている時間に、喫煙するという形が普通になっていきました。もちろん、バカスカ吸い倒すなんてことは、しませんでしたが、毎日1~2本は吸っていたと思います。子供の部屋に行くと、いつも灰皿はきれいに洗われており、顔を会わすことはないお母さんの、心づくしとおりがたく思っておりました。

夏休みも終わり、子供の能力も以前とは比べ物にならないくらい向上したという手ごたえから、満足感にひたりながら、その報酬を受け取るべく、斡旋所に浮かれ気分で向かいました。当時の斡旋所は、授業料の50%を斡旋料でふんだくるという暴利をむさぼっておりましたが、(今はどうなのか知りませんが^^;)それでも、30日以上2時間、のべにして60時間以上教えているわけで、6万円近い収入があるはずでした。当時は、ふつうのアルバイトが時給450円の時代ですから、この金額は、学生の身分としては高額でした。

斡旋所に入るなり、

「あぁ、こちらから電話しようと思ってたところで・・・お客さんから連絡があってね・・・」

お、感謝の電話かな?引き続き教えてほしいとか・・・むふふ お礼に報酬UPだったらまいちゃうね~うほうほ・・・という私の喜びも次の瞬間、担当の方の言葉の前に、露と消えるのでした。

「相手方が、お金払わないって言うのよ。君は子供の前でタバコ吸ってたの?」

そうです、それを理由に相手方は支払いを拒否したのです。灰皿が用意されていたことや、お母さんが・・・とか説明しましたが、母親から直接許可を受けたわけではないことも確かで、取りつくしまもありませんでした。ただ、担当の方も理解してくれたのは、喫煙が毎日行われていたのに、最後の最後まで注意もなく、支払の時にクレームを付けるのは確かにおかしいとのこと。しかしながら、事実に基づいた理由で先方が支払わないのでは、斡旋所としても私に賃金を支払うことはできないとのこと。

けっきょく、1か月タダ働きのトホホな夏休みで幕を下ろしました。

教訓:物事を自分に都合よく理解すると、思わぬ落とし穴に落ちます。ビジネスは常に客観的に判断しましょう。ほら、あなたの目の前にもトホホな罠が・・・そこに

2007年2月24日 (土)

罠はそこにある

話は過去から現在にさかのぼって掲載しております。しばらくは昔の話が続きますがご容赦ください (._.)

時は昭和60年代 大学生の頃のアルバイトでのショッキングな事件。これは、後々まで私自身への戒めとして、心に刻まれた失敗談です。

学生だった私は、高額収入のアルバイトNO.1である、家庭教師の職を、斡旋所を通して探しておりました。夏休みをぶらぶら暇に過ごしたくなかったので、2~3軒のかけもちも辞さない覚悟で、やる気マンマンでした。そこに、渡りに舟とでもいいましょうか、月~土の午前中・2時間、毎日教えてくれる先生を探しているお客さんがいるとのこと。大喜びで、斡旋所の担当者と供に面接へ。

連れていかれた場所が、なんと歓楽街のど真ん中。飲み屋がひしめく場所で、正直あまり雰囲気の良い地域ではなかったのですが、偏見や先入観はだめだと、気を取り直してお母さんと面接。即決で、明日から来てほしいと話はスムーズにまとまりました。教える相手は、中学生の男の子。成績はかなりよろしくないほうでしたので、基礎からじっくりと教えることに。ただ、条件として変わっていたのが、私が訪問する時間に、家には子供しかいないので、何もお相手できませんがお願いします、というものでした。私が心配したのは、子供が逃げ出してしまって、行っても誰もいないなんてことないかな~ということでした。

しかし、そういった心配も必要なく、最初の1週間は事もなく順調に過ぎました。子供とも打ち解けてきて、夏休みのあとも引き続き契約してもらいたいな~なんて、のんきなことを考えておりました。

そして、2週間目に入ったころ、いつもどおり子供の部屋に行くと、部屋の真ん中にある小さなテーブルの上にガラス製の大きな灰皿が置いてありました。中に吸殻はなかったのですが、中学生の子供の部屋に灰皿・・・というのは、見た瞬間、心のシグナルが黄色く点滅し始めました。このシグナルを、相手(子供)に向けるのではなく、自分自身に向けていれば・・・事件の予兆がここにありました。  続きはまた明日 (*^^)v

2007年2月23日 (金)

うまい話にはご用心

Photo 我が家の愛犬 花子です。数年前の、まだ子犬だった時の写真です。花子のことを書き込むのはまだまだ先になりそうですが、その後、私の仕事のパートナーとして、大活躍します。

(22日からの続きです。はじめて読まれる方は、昨日の記事もご参照ください)

リアカーに商品(正月用のしめ飾り)を山積みして、スーパーの前に立っているだけで、お小遣いがザクザク儲かる・・・そんな噂話からはじめたアルバイトでしたが、中学1年生にして、そんなウマイ話は無いと身にしみて感じました。

自宅にいながら高収入・月収30~50万・・・なんて広告を目にしますが、ほぼいいかげんです。仮に本当に稼いでいる人がいるとすれば、それなりの努力をかなりしているか、宝くじ一等に当たるくらいの超ラッキーな人じゃないかと思われます。この話も後日、実際に業者とやりとりをした内容を紹介したいと思います。

話を戻しましょう。

アルバイト3日目。このままでは、稼ぐどころか、重いリアカーを一日中引っ張り回しながら、訪問販売の営業と同じで、冷たいおばさまがたの「うちはもう買ったから」「今日 同じような子供が3回もきたのよ」といった断り文句を延々聴き続ける事になってしまう。

何とか打開策を考えないと・・・人が大勢いて、お金も持っていそうで、ライバルのいない場所・・・・・・ん? まてよ

家庭の戸別訪問は、スーパー前を陣取れなかったライバル同業者(まあ みんな子供なんですけどね^^;)のやっていること。おばさんの断り文句も嘘じゃなく、日に何度もいろんな子供がチャイムを鳴らして、「しめ縄いりませんか~~!」と大声を上げていく。確かに数十分おきにこれが繰り返されれば、頭にもくるだろう。

仮に運良く売れても、たかだか1個売れるだけ。

いっきに売れる場所があるじゃない。しかもライバルが行ったという話はきかない。そう、会社訪問ですよ。会社の中には人がいっぱいいる。上司や部下といった序列もあるので高い商品も売れるに違いない。

あたって砕けろ!で市内でも大手の海運会社に飛び込みを・・・。会社に営業マンが飛び込むのはよくある話ですが、ジャージ着た中学生営業マンは初めてだったらしく、受付のお姉さまが、事務所の全員を集めてくれて、15分で完売!! これは絶対売れないだろうと思っていた、超大型のしめ飾り 5000円も、そこの部長さんがお買い上げ・・・あれは後で家に帰ってから怒られたんじゃないかと、いまさらながらお悔やみ申し上げます。

そんなこんなで、会社訪問攻勢で1日でリアカー4杯分の売上達成 !(^^)!  

このままいけば、大富豪か?・・・・・・しかし、そこは子供。大きな落とし穴が。それは、成功を自慢してしまったこと。他の友達(ライバル)に成果を大げさに自慢。当然翌日から会社訪問が横行して、結局売上は打ち止め。

教訓:うまい話は絶対他人には教えないこと・・・だから、逆にうまい話で誘ってくるのは、あやしいって事ですね。本当においしい話なら全部自分でやりますって、大人ならね。ご用心、ご用心。

2007年2月22日 (木)

外貨獲得の第一歩

生まれは九州ですが、小学校から高校卒業までは愛媛県の八幡浜市で育ちました。愛媛ミカンの主な生産地であり、九州へ渡るフェリー交通の拠点として、当時(昭和50年頃)は、けっこう栄えておりました。しかしながら、本四連絡橋の架設に伴い、現在は残念ながら人口の流出が激しいようです。私も、現在は松山市に居住しております。

私が初めて労働というものを体験したのも、この土地ならではのアルバイトでした。昭和53年、中学1年生の冬休み。地域のミカン農家の方が、正月飾り用のしめ縄を作製し、それをリヤカー(今ではほとんど見かけませんね^^;)に乗せて、売りさばくというもので、学校も公認でした。アルバイト代金は売上の50%・・・フルコミッションです。価格設定も、おおまかに決められているだけで、割り引いたり、高値で売り付けたり 自由度の高いものでした。

収入アップにおいて、一番重要なのは売り場の確保でした。当時市内には、大型のスーパーマーケットが1つあり、そこの正面入り口前の道路わきが、一等地でした。農家でリヤカーに商品を積み込み、佐○急便なみの猛ダッシュでスーパーに向かうのですが、私の振当てられた農家は市内からかなりの距離があり、着いたころには主だった場所は競争相手でひしめいておりました。そうなると、あとは戸別訪問しか手はありません。一軒一軒、ドアのチャイムを鳴らし、押し売りよろしく売りつけるのですが、なかなか売上は伸びません。3人1組のチームで行動していますので、1万円の売上でも、半分は農家に、残りを3等分しますので、1700円ほどの収入です。丸一日リアカーを引きずりまわして、3000円稼ぐのがやっと。リヤカーの商品も4分の1売れるか売れないかで、農家の方にも申し訳なく、最初の2日で世間の冷たい風にさらされました。

1等地を確保するにも、労働時間は9:00~17:00と学校側から決められていたため、早朝から場所取りをすることもかないませんでした。年末の冷たい北風が身にしみました。チームの仲間、もちろん彼らも初体験なわけですが、こんなことならコタツにでも入ってマンガ読んでた方がいいや・・・みたいな雰囲気になりかけておりました。(当時はまだテレビゲームはありません^^;)

なんとか、売上を伸ばせないか・・・うなだれながら重いリアカーを引きずって帰る途中、私の脳にエジソンが飛来しました。そして、3日目にはリアカー4台分を数時間で売りさばいてしまうという快挙をなし遂げるのですが、その内容はまた明日。

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